2016年03月05日

新疆で小宛国の古墓群が出土

新疆で小宛国の古墓群が出土  2010年11月10日

小宛国は、チベット北麓で農耕・牧畜したスキタイ人
青銅・鉄器時代 2000年前


新疆挖掘水毁古墓群 有望启动小宛国历史研究(图)
新疆で洪水被害の古墳群を発掘、小宛国の歴史に新たな知見
2010年11月10日 13:41 来源:中国新闻网
http://www.chinanews.com/cul/2010/11-10/2646524.shtml



视频新疆:“小宛国”古墓群出土 (youtube)
https://www.youtube.com/watch?v=tUk8qBh3JaY

小宛国古墓群.jpg

新疆で、小宛国の古墓群が出土 
洪水で河岸が削られ12座の墓を発掘

新疆博物館考古部の王博研究員 
陶器、銅器、鉄器が見つかり動物の骨が多いです。

新疆且末县吾大其古墓群出土的铜刀.jpg

新疆且末县吾大其古墓群出土的铜刀。
新疆チャルチャン県の吾大其古墓群出土の銅刀

新疆且末县吾大其古墓群出土的铜镜.jpg

新疆且末县吾大其古墓群出土的铜镜。
新疆チャルチャン県の吾大其古墓群出土の銅鏡


中新网且末11月10日电(孙亭文 龚李义)经过连续三天的挖掘清理,新疆且末县被洪水冲出的吾大其古墓群抢救性保护工作告一段落。10日,负责考古挖掘工作的新疆博物馆考古部研究员王博告 诉记者,吾大其墓地的发掘隐射了古西域三十六国之小宛国的文化,可借此研究小宛国的历史。
11月10日に、新疆の且末(チャルチャン)県の洪水被害にあった吾大其古墳群の発掘調査が、一段落しました。3日間発掘しました。新疆博物館考古部の王博研究員によると、吾大其古墓群は、漢書にある西域三十六か国の小宛国のようです。

シルクロード南路の都市国家 婼羌 且末 小宛.jpg

  据悉,由于当地今年夏季突发洪水后,一个距今2000多年的古墓群也随之展现在人们眼前,而对于这一古墓群的抢救性挖掘和清理工作已于6日启动,该地点位于海拔2800米高度。
今年の夏の突然の洪水で、2000年前の古墳群が見つかりました。遺跡の保護調査のための発掘が、6日に始まりました。現場は、海抜2800mです。

  经过连续的古墓抢救性挖掘和清理工作,考古人员收获颇丰,连续出土了饮水用的黑陶、铜器皮带扣、铁骑、随葬的牲畜和成年女性和婴儿的尸骨等,而这个古墓群有12个古墓组成。
発掘で考古学者は、次々と発見をしました。水を飲むための黒陶、銅のベルトバックル、騎兵に副葬の家畜、成年の女性と赤ん坊の遺骨など。12の墓がありました。

  且末是“玉石之路”的发祥地和“丝绸之路”南道重镇,古西域三十六国的且末国和小宛国就在其境内。且末国位于平原,曾以农业生产为主,有种植葡萄的记载,
且末国(チャルチャン)は、「ヒスイの道」の出発点であり「絹の道(シルクロード)」の南路の重要地点でした。古代の西域三十六か国の且末国の勢力圏内には、小宛国がありました。且末国は、平地で農業が盛んで、ブドウ栽培をしました。

该县1985年考古发掘的扎滚鲁克古墓群为研究且末国的历史提供了大量珍贵资料。
且末(チャルチャン)県では、1985年に、扎滚鲁克古墓群(ザグルック)の発掘が行われ、且末国研究の貴重な資料が大量に見つかりました。

扎滚鲁克古墓群(ザグルック)について
https://www.kando-tairiku.com/dest/05id006406.html


小宛国位于山区,以养畜为主,但《汉书》中有关记载仅为其城址 在且末国以南约300里,大约喀喇米兰河流域中心地带,其余没有更深入的研究,资料很缺乏。
小宛国は、山中にあり、牧畜が主産業でした。漢書には、首都の位置ははっきりとは書いてなくて、且末国の約300里南の喀喇米兰河(黒ミラン河)流域ですが、それ以上の情報はありません。

  “吾大其墓地在形质上与扎滚鲁克古墓群有较大区别,扎滚鲁克古墓群全部是土坑墓穴,吾大其墓地是石棺墓,这体现了且末国和小宛国的区别”。
小宛国の吾大其墓地と且末国の扎滚鲁克古墓群は、様式が完全に異なります。扎滚鲁克古墓群では、全て土坑墓穴ですが、吾大其墓地は、石棺墓です。

“这次挖掘的吾大其墓地位于昆仑山北麓沙丘地带,地处平原与山区之间,从地理位置讲,吾大其处于且末国和小宛国的交界。”
今回発掘した吾大其墓地は、崑崙山脈北麓の山の間の平地で砂丘地帯です。且末国と小宛国の国境付近です。

  王博说,现在发掘的吾大其墓葬群有两座出土了马头、山羊和绵羊,有的羊头还比较多,
王博氏によると、現在発掘中の吾大其墓葬群では、二つの墓で、馬、ヤギ、ヒツジの骨が出土し、ヒツジの頭骨が多いです。

说明这的人当时是以养畜为主,与小宛国的生产方式相似,但奇 怪的是从墓葬中没有发现牛骨。
家畜の飼育が主体なのは、小宛国の生産方式に似ていますが、不思議なことに、この墓からは、牛骨が見つかりません。

据现在的吾大其居民讲,他们没有喂养牛的习惯,而是养羊、马和驴,原来,这一处的草场比较稀疏,牛吃不饱,自古就没有养牛的 条件。
現在の吾大其の住民も、牛を飼う習慣はなく、ヒツジ、馬、ロバを飼っています。古来、広い牧草地がなかったので、牛を飼わなかったのでしょう。

  而对于今后如何对古墓群进行保护,王博说,洪水冲出的断裂面弯弯曲曲400余米,墓葬底平面低于现河漫滩90公分,说明历史上这里曾发生多次洪水。现在看到的就是古墓被冲刷过的迹象,进行保护,从河水流向看主要是把洪水挡住,因为墓地面积不清,如全面进行发掘,难度很大,可通过拦坝或人工改道来 解决。
古墓群を保護する方法について、王博氏は言います。洪水による破断面は、曲がりくねりながら長さ約400mです。墓は、氾濫原よりも90㎝低いです。古来、洪水がたびたびあった場所であり、墓地の面積も現在不明で、全体を発掘するのは困難。遺跡を保存するには、人工的に川の流れを変えるか、ダムをつくるしかありません。

  小宛国古西域国名,《汉书·小宛国传》记载,王治圩零城。
小宛国は、西域の古代国家の名で、「漢書小宛国伝」によると、王が治める首都は扜零城。

去长安七千二百一十里。户百五十,口千五十,胜兵二百人。辅国侯,左右都尉各一人。西 北至都护治所二千五百五十八里,东与婼羌接,辟南不当道。
長安から7210里で、150戸、人口1050人、兵力200人、輔国候(宰相)と左右の都尉(司令官)が一人ずついます。東には婼羌国があり、南には道がありません。

小宛国在今且末正南,喀拉米兰河北岸一带,由于其南为可可西里山,所以比较偏僻。
小宛国は、且末国の南で、喀拉米兰河(黒ミラン川)の北岸一帯です。南には、可可西里山(崑崙山脈の6305mの山)があり、かなりのへき地。

居民从事农业生产,为古塞种人,属印欧语系伊朗语族之民族。
住民は、農耕を行い、古代のサカ人で、インド・イラン語族の民族。

  且末县地处塔里木盆地东南缘,南依昆仑雪山,北临塔克拉玛干沙漠。
且末県(チャルチャン県)は、タリム盆地の東南端にあり、南にはコンロン山脈があり、北は、タクラマカン砂漠です。

县境主要是沙漠和绝大部分海拔3000米以上的高山,地广人稀,平均每平方公里还不到半个人。国道315线和塔中沙漠公路横贯境内,距离乌鲁木齐市约1500公里。
県境は、大部分が、砂漠か高度3000m以上の高山で、人口密度は一平方キロメートル当たり0.5人です。国道315号線と塔中沙漠公路が通っています。ウルムチから1500Km。









posted by ウクライナ人妻の夫 at 10:15| Comment(0) | ウイグルの古代人 | 更新情報をチェックする
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