2016年03月05日

シルクロードの都市国家群 3 婼羌 且末 小宛の三国について

シルクロード南路の国々

婼羌 且末 小宛 の三国について

シルクロード南路の都市国家 婼羌 且末 小宛.jpg


The State of Ruoqiang 婼羌
婼羌国

訳者解説 「羌は、チベットに移動した西戎で、農耕をしない遊牧民。鉄鉱山を知り製鉄、鉄の武器を製作。」

The state of Ruoqiang 婼羌 was located in the area of modern Ruoqiang 若羌, Xinjiang.
婼羌国は、現在の新疆、チャルクリク県(若羌県) にありました。

The inhabitants were pastoral nomads and often relied on grain imports from Shanshan 鄯善 or Qiemo 且末.
婼羌 Ruoqiang の住民は、遊牧民で、 穀物は、鄯善 Shanshan と 且末 Qiemo から輸入しました。

Yet there were iron ores in the region, and the blacksmiths of Ruoqiang were famous for their weapons.
けれども、そこには、鉄鉱石があり、婼羌は、鉄の武器の製造で有名でした。

During the Former Han period 前漢 (206 BCE-8 CE) Ruoqiang had only 1,750 inhabitants.
前漢の時代(紀元前206年~紀元8 年)には、婼羌の人口は、ほんの1750人でした。

漢書より: 「婼羌國王號去胡來王」 
婼羌国の王は、去胡來王という名前です。

「戸四百五十口千七百五十勝兵者五百人西與且末接」
450戸、人口1750人、兵力500人で、西には、且末国があります。

「隨畜逐水草不田作仰鄯善且末穀」
水と草を追って遊牧し、農耕はせず、穀物は、鄯善と且末から輸入します。

「山有鐵自作兵兵有弓矛服刀劔甲」
山は鉄が産出し、武器を製作。武器には、弓、矛、服刀(短刀の一種)、剣、甲があります。






シルクロード南路の都市国家 婼羌 且末 小宛.jpg

The State of Qiemo 且末 (Turkic name Čerčen)
且末国(しょまつこく:トルコ語で、チャルチャン)

訳者解説 「且末国は、羌国にも穀物を輸出した農業国。チャルチャンからは、3000年前のヨーロッパ系男性ミイラが見つかりました。住民は、西欧人だったのでしょう。」

チャルチャンの男.jpg

The state of Qiemo 且末 was located in the area of modern Qiemo, Xinjiang.
且末国は、現在の新疆、チャルチャン県にありました。

Its capital city was located on the upper course of River Čerčen 車爾臣河.
首都は、チェルチェン川(車爾臣河)の上流にありました。

The population was during the Han period 漢 (202 BCE-220 CE) 1,600 persons.
人口は、漢の時代(紀元前202年~紀元220年)には、1600人でした。

The region was famous for its grapes and the cattle.
その地域は、ブドウと牛で有名でした。

漢書より: 「且末國王治且末城去長安六千八百二十里」
且末の首都は、且末城であり、長安から6820里です。


「戸二百三十口千六百一十勝兵三百二十人輔國侯左右將譯長各一人 」
230戸、人口1610人、兵力320人で、官職は、輔国候(宰相)、左右の将軍が各一人、通訳長官。

「有蒲陶諸果」
ブドウを始め、様々な果物を産しました。

During the Southern and Northern Dynasties period 南北朝 (300~600) there were two cities, namely Mocheng 末城 and Zuomo 左末.
南北朝 (300年~600年)の時代には、二つの都市がありました。末城と左末です。

At that time the inhabitants cultivated fields but did not know how to use oxen to plough the fields.
当時、住民は、農耕をしましたが、牛を使って農地を耕す方法は知りませんでした。

Tree cultivation was very popular in Qiemo.
且末国では、樹木の栽培が盛んでした。

The region was conquered during the Sui period 隋 (581-618) and transformed into the commandery (jun 郡) Qiemo.
且末国は、隋の時代(581年~618年)に征服されて、且末郡になりました。

In the monk Xuanzang's 玄奘 report of his travels to the West, the Da-Tang Xiyu ji 大唐西域記, the city is called Zhemotuona 折摩馱那.
玄奘の大唐西域記には、且末の都市名は、折摩馱那と記されています。







シルクロード南路の都市国家 婼羌 且末 小宛.jpg

The State of Xiaowan 小宛
小宛国

訳者解説 「小宛国は、且末(チャルチャン)の南の山中で、住民は、牧畜・農耕するアーリア系サカ人(スキタイ人)。」

The state of Xiaowan 小宛 (might also be read Xiaoyuan) was located somewhere in the mountaineous area south of modern Qiemo 且末, Xinjiang.
小宛国は、現在の新疆、且末(チャルチャン)の南の山中にありました。

The population was during the Former Han period 前漢 (202 BCE-8 CE) 1,000 persons.
前漢の時代(紀元前202年~紀元8年)には、人口は、1000人でした。

The capital city was Yuling 扜零. Their king was aided by a Commander Supporting the State (fuguohou 輔國侯) and two Commanders-in-chief (duwei 都尉).
首都は、扜零で、王の臣下は、輔国候(宰相)と二人の都尉(司令官)でした。

漢書より 「小宛國王治扜零城去長安七千二百一十里」
小宛国の首都は、扜零城で、長安から7210里です。

戸百五十口千五十勝兵二百人輔國侯左右都尉各一人
150戸、人口1050人、兵力200人、輔国候(宰相)と左右の都尉(司令官)が一人ずついます。

中国歴史故事大全より
http://blog.sina.com.cn/s/blog_832f187d0102vq61.html

小宛国在今且末正南,喀拉米兰河北岸一带,
小宛国は、且末国の南で、喀拉米兰河(黒ミラン川)の北岸一帯です。

由于其南为可可西里山,所以比较偏僻。
南には、可可西里山(崑崙山脈の6305mの山)があり、かなりのへき地。

居民从事农业生产,为古塞种人,属印欧语系伊朗语族之民族。
住民は、農耕を行い、古代のサカ人で、インド・イラン語族の民族。


posted by ウクライナ人妻の夫 at 10:06| Comment(0) | ウイグルの古代人 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
コチラをクリックしてください
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。