2016年02月15日

アーリア系異民族「西戎」が2500年前の中原に建てた陸渾国の墳墓発見

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戦車6両と馬13頭が副葬

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銅の編鐘(へんしょう) 銅鐸に似ている!

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中原を西戎が占領、山東省と西日本には東夷が住んでいた(西戎も東夷もアーリア系:訳者作画)

(英語、ロシア語、中国語の記事を和訳)

Ancient Chinese tomb dating back 2,500 years uncovered to shed light on obscure kingdom
二千五百年前の古代中国の幻の王国の墳墓が見つかる

The little-known Luhun kingdom existed between 638BC to 525BC
忘れられた陸渾(りくこん)王国は、紀元前638年から紀元前525年に存在しました。
http://www.independent.co.uk/news/world/asia/ancient-chinese-tomb-dating-back-2500-years-uncovered-to-shed-light-on-obscure-kingdom-a6762261.html#gallery

Sunday 6 December 2015 12:21 BST
2015年12月6日日曜日 インディペンデント紙 (英語)

(訳注:陸渾の戎(りくこんのじゅう)Lu-hun-rong; Lu-hun-jung)
https://kotobank.jp/word/%E9%99%B8%E6%B8%BE%E3%81%AE%E6%88%8E-148517

The tomb of a Luhun nobleman and his family also contained the skeletons of 13 horses and six chariots REX Features
陸渾王国の貴族とその家族の墓からは、13頭の馬と6両の戦車も見つかりました。

Chinese archaeologists have uncovered a 2,500-year-old- tomb thought to contain the skeletons of an ancient royal family.
中国の考古学者らが、古代の王族と思われる遺骨が埋葬された2500年前の墳墓を発掘しました。

The tomb in Luoyang city, Henan province, is believed to originate from the relatively-unknown Luhun Kingdom, which only lasted 113 years between 638BC and 525BC, according People’s Daily Online.
河南省洛陽市のこの遺跡は、紀元前638年から紀元前525年の113年間だけ存在した、あまり知られていない陸渾王国の墳墓と考えられます。

Thought to be the tomb of a Luhun nobleman or royal - copper belts and ceremonial pots were discovered along with a nearby burial pit complete with chariots and whole horse skeletons.
陸渾王国の貴族か王族と思われる墳墓からは、銅のベルトや儀式用の壺が見つかり、その近くから、完全な状態の馬の骨と戦車も複数見つかりました。

The excavation began in 2009 after a spate of grave robbing in the area, which hosts around 200 different ancient tombs, South China Morning Post reports.
発掘が2009年に開始されたのは、この地方で、約200カ所の古代墳墓が続けざまに盗掘された後です。

Due to the tomb’s size, which is at 21 feet long, 17 feet wide and 28 feet deep, experts believe it to be the resting place of a  royal family who wielded little political power.
長さ21フィート、幅17フィート、深さ28フィート(長さ6.3m、 幅5.1m、 深さ8.4m)の大きさから、専門家は、政治的影響力をあまり持たない王族の墓と考えます。

The tomb had suffered from damage caused by water and grave robbers, but the interior coffin was protected by plaster and a coffin board.
墳墓は、水の影響と墓泥棒の被害を受けていますが、内部の棺桶は、漆喰と棺桶の壁に守られていました。

The horse burial pit contained the skeletons of 13 horses and six chariots.
馬が埋葬されている墓穴からは、馬13頭と戦車6両が見つかりました。

The horses had been carefully arranged on their sides, with decorations placed on their carcasses.
馬と戦車は、丁寧に並べられてあり、装飾品も一緒に埋められていました。

It is hoped the tomb will help historians gain a better understanding of the movements of the migratory Rong people, an ethnic minority which made up the population of the short-lived Luhan kingdom.
この墳墓は、短命の陸渾王国を建てた非定住の少数民族「戎」の移動の歴史の理解に役立つでしょう。


В мире 16:19, 6 декабря 2015
http://www.interfax.ru/world/483431
インターファックス 2015年12月6日16時19分 世界ニュース (ロシア語)

Китайские археологи нашли 2500-летнюю гробницу королевской семьи
中国の考古学者らが、2500年前の王族の墳墓を発見

На месте захоронения также обнаружены останки лошадей и даже колесницы
埋葬場所からは、複数の馬の骨と戦車も見つかりました。

Археолог на месте раскопок     Фото: newscom/vostock-photo
発掘現場の考古学者

Москва. 6 декабря. INTERFAX.RU
モスクワ 12月6日 ロシア・インターファックス

В Китае археологи обнаружили гробницу, которой может быть не менее 2500 лет, сообщает The Independent.
中国で考古学者が、少なくとも2500年前のものと思われる墳墓を見つけました。

Захоронение, в котором, предположительно, находятся останки древней аристократической семьи, было найдено в городском округе Лоян на западе провинции Хэнань.
河南省西部の洛陽市街で見つかった墳墓は、古代の貴族のものと思われます。

Вероятно гробница принадлежала правителям или представителям знати из малоизвестного королевства Лухун (Luhun Kingdom), которое просуществовало всего 113 лет с 638 по 525 годы до нашей эры.
この遺跡は、紀元前638年から紀元前525年の113年間だけ存在した、あまり知られていない陸渾王国の王族か貴族の墳墓と考えられます。

По мнению археологов, там были захоронены именно представители аристократии, поскольку рядом с человеческими останками были найдены пояса из драгоценных металлов, церемониальные урны и даже целые скелеты лошадей.
考古学者が身分の高い貴族の墓と考える理由は、人骨と共に、貴金属のベルト、儀式用の壺、複数の馬の全身骨格まで見つかったからです。

Всего там нашли 13 лошадей и шесть колесниц.
全部で、13頭の馬と6両の戦車です。

Останки животных были аккуратно размещены и даже украшены.
馬の骨は、きちんと並べられてあり、装飾さえされていました。

Раскопки начали еще в 2009 году, после целой волны разграблений древних захоронений в данном районе, где может находиться до 200 гробниц.
発掘が始まったのは2009年で、この地方の200カ所以上の古代の墓が、相次いで盗掘され得た後です。

Гробница достаточно большая: более шести метров в длину, около пяти в ширину и почти девять метров глубиной.
墳墓は、かなり大きくて、長さ6m以上、幅およそ5m、深さがおよそ9mです。

Она заметно пострадала из-за наводнений и охотников за сокровищами.
墳墓は、水害と盗掘の被害を受けています。

Тем не менее, ученые надеются, что находка поможет лучше понять маршруты миграции кочевого народа Ронг - это этническое меньшинство, которое когда-то жило в королевстве Лухун.
学者は、この発見が、かつて陸渾王国に居住した少数民族である遊牧民「戎」の移動経路の解明に役立つと考えます。

河南洛阳发现春秋陆浑国贵族墓葬 出土车马成群
河南省洛陽市の春秋時代の陸渾国の貴族の墓で戦車と馬を発見
http://pic.people.com.cn/n/2015/1204/c1016-27889162.html (中国語)

2015年12月3日,河南省洛阳市,河南省洛阳市文物考古院发布消息称,
2015年12月3日 河南省洛陽市、 河南省洛陽市考古学研究所報告

在洛阳市伊川县发现了2500年前的陆浑国贵族墓葬,并已发掘铜编钟、铜鼎等铜器,在陪葬车马坑中发掘出马匹车辆遗骸。
洛陽市伊川県で、2500年前の陸渾国の貴族の墓から銅の編鐘(へんしょう)や銅の鼎 (かなえ)が見つかり、また、副葬の馬の遺骸と戦車も見つかりました。

此次发掘的墓葬地位于洛阳市伊川县鸣皋镇徐阳村,古老的伊河支流顺阳河从墓地中部穿流而过。
発掘された墳墓の位置は、洛陽市伊川県鸣皋镇徐阳村で、伊河の支流の顺阳河が墓地の真ん中を流れています。

自2009年以来,徐阳村周围陆续发现盗墓活动,洛阳市文物考古院报请国家文物局批准抢救性发掘。
2009年から、徐阳村の付近で墓泥棒が相次いだため、国家文物局の許可を得て、洛陽市の文物考古院が、遺跡保護目的の発掘を行いました。

2015年重点发掘的徐阳村南发掘的大型墓葬1座,墓口距地表深0.88-1.02米,口部东西长6.30,南北宽5.40-5.15米,深8.5米。
2015年に徐阳村南部で大型墳墓一基を発掘しました。墓の入り口は、地表からの深さが、0.88mから1.02mで、墳墓の大きさは、東西が6.3m、南北が5.4mから5.15m、深さが8.5mです。

中部被汉代灰坑打破。墓壁向内倾斜。距地表3.7米出地下水。外椁已腐朽,內棺用厚0.5米青膏泥封护。
中部には破壊された漢時代の墓穴があります。墓の壁は傾斜していて、地表から3.7mの位置に地下水があります。外棺は朽ちていますが、内棺は、厚さ0.5mの青膏泥の封印で保護されていました。

在青膏泥和外椁板之间发现有铜编钟、铜鼎等随葬遗物。目前尚未清理完毕。
青膏泥と外棺の板の間で、編鐘や鼎などの銅器が見つかりました。まだクリーニングはしていません。

2013年开始发掘的陪葬车马坑为长方形竖穴土坑,坑口长7.55米,宽5.95米,深2.8米。
2013年に発掘を開始し、副葬の馬と戦車が見つかった穴の大きさは、縦7.55m、横5.95m、深さ2.8mです。

车马坑内随葬车6辆,马13匹,均呈侧躺状,马头上还佩戴骨贝编织的装饰品。
副葬の戦車は6両で馬が13頭で、きちんと並べられています。馬の頭骨には貝の装飾品が載せられています。

车马坑东北角还发现随葬大量牛羊头、蹄等。
馬と戦車の穴の東北では、副葬の大量の牛と羊の頭骨や蹄が見つかりました。

抢救性发掘期间,文物部门在徐阳村周围调查勘探发现长方形竖穴土坑墓200余座,车马坑8座,灰坑30余座、烧窑10余座,基本了解了墓地的分布区域和保存现状。
遺跡保存のための調査で、文物局は、徐阳村付近に、長方形の竪穴墳墓約200基、戦車と馬を埋めた穴を8カ所、その他の遺跡が約30カ所、陶芸窯跡が約10ヶ所ある事を把握しました。

从发掘情况分析,车马坑放置牛羊头蹄的葬俗与春秋战国时期甘青地区戎人埋葬习俗相似,而与中原地区埋葬习俗差别较大。
発掘の結果、馬と戦車と共に牛と羊の頭骨と蹄を埋葬する習慣は、春秋戦国時代の甘粛省と青海省の戎の人々の風俗であり、中国中原の埋葬方式とは全く異なる事が分かりました。

据《左传》僖公二十二年(前638年)记载:“秋,秦、晋迁陆浑之戎于伊川。”公元前525年秋,晋国出兵剿灭陆浑戎。
「春秋左氏伝」によると、魯僖公22年(紀元前638年)に秦と晋は、戎を伊川(陸渾)に移住させたとあります。また、紀元前525年に晋が出兵して陸渾の戎を滅ぼしました。

经考证,陆浑戎分布的大致范围在今 伊阙、鹿蹄山以南,伏牛山以北,熊耳山以东区域内,涓水(即今顺阳河)流域为其中心地带。历史上著名的“问鼎中原”典故就源于此。
研究の結果、戎の住んでいた地域は、現在の伊阙(河南省洛陽市)、南は鹿蹄山、北は伏牛山、東は熊耳山で、その中心地は、涓水(現在の顺阳河)流域でした。故事成語の「问鼎中原」に相当します。(天下を取ったと言う意味)

“徐阳墓地无论从时间、地域、规模、习俗等都可以与春秋时期活跃在这一区域的陆浑戎形成唯一对应关系。因此我们认为徐阳墓地应为陆浑戎贵族墓地,车马坑应为陆浑戎国君或高级贵族墓的陪葬。”
「墳墓の年代、場所、規模、風俗から考えて、春秋時代にこの地域に戎が一時的に勢力を持って陸渾国を建てた時代の遺跡です。戦車と馬が副葬されたこの墓は、王族か高級貴族の物でしょう。」

洛阳市文物考古院院长史家珍介绍,戎是中原王国对西方甘青地区民族的统称。
洛陽市文物考古院の長、歴史家の珍氏は言います。戎は、中原の王国が名付けた、西方の甘粛省と青海省の民族の総称です。

从墓葬遗物、陪葬车马坑埋葬方式来看,徐阳墓地的主人显然受到周边文化的强烈影响,但依然保存了其自己的某些传统。
墳墓の遺物や、副葬の馬と戦車の埋葬方式を見ると、墓の主は、周囲の文化的影響を強く受けていますが、依然として自己の伝統を保持しています。

尤其是车马坑放置牛马羊头蹄的习俗与春秋、战国时期甘青地区出土的戎族陪葬习俗相同,具有戎族习俗的特征。
特に、戦車と馬を埋葬した穴に、牛馬羊の蹄を埋める風習は、甘粛省と青海省で出土する春秋戦国時代の戎の副葬の習慣と同じです。

此次考古新发现以实物资料的形式印证了陆浑戎迁徙中原的历史事件,是研究中原地区少数民族迁徙和融合重要资料,具有重要的考古学术价值。张晓理
戎が中原に移動して陸渾国を建てたと言う歴史的事件の物理的証拠の考古学的新発見です。定住しない少数民族の戎が中原に至り融合した証拠は、学術的に大きな価値を持っています。






posted by ウクライナ人妻の夫 at 15:28| Comment(1) | アーリア人の先祖 | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この記事とても興味深いですね。

時間をかけてじっくり読んでみます。
Posted by manase at 2016年02月15日 20:24
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